京都大学
大学エッセイ 京都大その1
よく「自由な学風」と言われます。
例えば東大は、2年間の教養部のあと「進振り」で希望の学部に行けるか決まるのですが、そこでモノを言うのは成績です。
一方(筆者が在籍していた頃の)京大では、授業に真面目に出席するという文化はなく、勉強(研究)は自分でするもの、でした。
教官たちのほとんども、そんな文化の中でその地位を得たわけで、出席を取るなどという野暮なことはいたしません。
就職の時期になると、求人数に対して希望者が多い場合、日時が指定されて教務の窓口に集合し、ジャンケンで決めるという、恐るべき風習もありました。
大学エッセイ 京都大その2
東大が官僚養成のための大学という性格が強いのに対し、かつての京大のイメージは、
湯川秀樹さんをはじめとするノーベル賞受賞者の輩出で、最近ではiPS細胞の研究などが脚光を浴びていますね。
それも、自由な発想が後押ししているのかもしれません。
入学後2年間の教養部は廃止され、そのキャンパスには総合人間学部が陣取っていますが、幅広い教養科目をまず学ぶという点は変わりません。
卒業年に教養の単位をいくつか取った記憶があり、所定の単位を取らないと学部に進めないという野暮な縛りは、今もないと信じています。
そんな京大にも、昨今は管理強化の波が押し寄せているようで、百万遍から東一条界隈の風物詩であった「立て看」が、あろうことか禁止となり、ゲリラ的に出されては当局が撤去するという、持久戦が展開されています。
マスコミも注目する歴史的な戦いに、皆さんも参戦してみませんか?
大学エッセイ 京都大その3 スポーツ編
野球の早慶戦、ラグビーの早明戦、最近では箱根駅伝の青山学院など、大学はスポーツと関連付けてイメージされます。
関西でラグビーと言えば同志社、平尾(故人)、大八木を擁した1980年代前半は黄金時代でした。
では京大は、というと、言うまでもなくアメリカン・フットボール。
関西では関学と覇を争い、定期戦として行われる京関戦(けいかんせん)は、リーグ戦以上に盛り上がります。
東の日大とも名勝負を繰り広げ、個の体力で勝負する日大のショットガン戦法に対し、京大は多彩なフォーメーションで対抗したものです。
同じ寮の後輩に部員がいて、身体のどこかを傷めていることがほとんどで、脚を引きずって歩く姿しか思い出せません。
それでも試合になると、テーピングしてフィールドを走り回る。
たいしたものですね。
大学エッセイ 京都大 その4 文化編
筆者の在学時代、クラスの仲間を中心に劇団を作り、1回生の11月祭でオリジナル脚本による旗揚げ公演をしています。
2回生の時には、かなり難解かつ抽象的な脚本と演出による第二回公演を敢行したのですが、キャンパス内に勝手にテントを立ててやったものですから、
学生部の職員が慌ててやって来て押し問答となり、彼らをなだめて何とか開催にこぎつけたことを覚えています。
そんなことがまかり通った時代であったわけですが、最近は、京大名物「タテカン(立て看)」さえ禁止となり、神出鬼没の「ゲリラ戦」が展開されていることは、
すでに書きました。何とも窮屈な時代になったものです。
さて、京大における文化活動を語るうえにおいては、西部講堂を忘れてはいけません。
本部構内と東大路を隔てて西側にある、1937年創建という瓦葺の古びた建物ですが、学生の自主管理団体「西部講堂連絡協議会」により運営され、
20世紀後半における関西アングラ文化のメッカともいえる存在でした。
大駱駝艦など舞踏派集団の活動拠点となり、筆者も聴いた憂歌団のコンサートは、ライブレコードとなって往時の雰囲気を伝えてくれています。
耐震構造とは無縁の建物でしたから、まだ存在はしているものの(昨年末、この目で確かめました)、そうした活動はもはや行われていないようです。
歴史的な存在となってしまったようですね。
京都大学については、これで終わります。
さて次は、どこへ行きましょうか。